根本を問いかける
2020年9月27日

最近、何冊か続けて、今年の2月に逝去された野村監督の著作を読んでいました。
阪神タイガース・ファンの私と野村監督の接点はあまり多くはありません。もともと、パリーグの選手ですし、セントラル・リーグに移られてからも他球団の監督を務めておられる印象のほうが強かったです。
私が20代後半の頃だったと思います。その年の阪神は、最後の最後まで優勝争いを続けていました。けれど、優勝したのはスワローズで、監督は野村監督でした。ちょうど、広沢選手や池山選手が現役で活躍していたころです。その年、阪神が優勝を逸した時の自分の気持ちの落込みは、今でもよく覚えています。
その野村監督が阪神の監督になったのは1998年の秋で、その後の3年間、監督だったのですが成績はすべて最下位でした。その間、私が報道で聞く野村監督の声は、選手を非難するような言葉がとても多かった印象です。なので、私の中では野村監督のイメージはあまりよくなかったのが実情でした。

けれど、今回、同氏の著作を読んでみると納得するというか、それ以上に示唆に富む言葉とたくさん、出会うことができました。こうした言葉に素直に耳を傾けると、「人が成長するための気づきの宝庫」だと思えます。
特に印象的だったことですが、野村監督は試合が始まる前や練習の合間に若手の選手によく「人はなぜ生まれてきたと思う?」といった質問を投げかけたそうです。
それに対して、多くの若い選手は「考えたこともありません」と答えます。これらの若い選手たちは、それまでにも野球の技術的なことはたくさん教えられてきたのでしょう。けれど、自分がなぜ生きていて、なぜ野球に一生懸命打ち込んでいるか、そんなことなど考えようとも思わなかったのでしょう。けれど、こうしたことは本来、誰にとっても生きる上での根本的なテーマです。
 
このエピソードが示唆するところは、物事のこうした根本的なことを深く理解することによって初めて、人は今とは違う自分になれる可能性や成長する道が開けてくるということではないでしょうか。 そうした気づきが端緒となって、変わるためのきっかけをつかめるし、成長するための第一歩を踏み出せるのではないかと思います。
 実際、野球の世界では野村監督のそうした言葉や薫陶を受けて、大きく変わり、成長した選手がいることがわかります。

 これは経営の世界でも同じだと思います。「経営とはなにか」、「経営するとは、どういうことなのか」こうした、普通は疑問にも思わないようなことに気づける経営者が、優れた経営者となり、より良い会社を作っていける経営者になっていくのではないかと思います。

伊藤 康雄

Yasuo Ito